往復写簡 #49
襟草丁(写真)←松本力(文)
襟草丁さん
マンデルブロー博士に、報告したい。
日本の午後、日射しが照らす、幻のような紅葉にも素敵なフラクタルがあると。
海岸や野菜のかたちではなくて、まさしく、虫食い葉の破れ目の裂けた穴からのぞく向こう側、空との境界の集合だ。そこに、無から眺める有が在る。
真夜中にスキップするみたいに、写真がぐんと面白くなる音がする、音がする。
現実を写すなかに、想像を映す、二乗に可視化する行為に、彼岸を見るような三途の川ぐらいの隔たりがあるのは、いささか否めないのは確かだ。
なんだけれど、いささか、意図は違うのだけれど。二者が最終的にたどりつく意匠の相似形より、その発想の違いから意匠設計される過程を重んじる価値観が、ひろく市民権を得ているわけではないように。
それより、
爆撃後の穴だらけの大地たる燃え上る葉脈都市の炎上さに、
日射しが連ねる赤い実と葉上の緑の星座の配色の素敵さに、
きな臭い現実や異国の祝祭を想像してしまうことを越えて、
ぼくも、君の視点がもたらす抽象性の話がしたい。
松本力より
text by Chikara Matsumoto photo by Tei Erikusa 写真と書簡で往復する #往復写簡
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