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AUN
The faces of Shishi and Komainu shaped saying "A-Un" in the shrine

 


神社参道の二者、左右一対の獅子・狛犬だが、古来の神社には居ない。唐から朝鮮半島を経て仏教と伝来した一対の木像の唐獅子が神殿に置かれた。狛犬研究の第一人者、故・上杉千郷氏が命名した『獅子座の思想』が、百獣の王の力を宿すこと、古代オリエント、インド・ガンダーラ、中国と断続的な経路で伝播した。実物のライオンがいない中国の「キメラ職人」たちは、守護獣を縮小したが、蓬髪に翼の痕跡という意匠が受け継がれ刻まれた。
 

平安時代、ケモノ偏に白(西方)と書いて狛犬、荒野の正体不明にして、オオカミ(狼=大神)信仰を象徴する一角の獣が唐獅子の相方として鎮座した。江戸時代以降、皇室の祝事や戦争の勝利祈願、市井の縁起を祝して他生を信じる対象に、角も簡略化された石像を社寺に奉献するようになった。

 

彼らこそが、我らの関心の的、参道狛犬だ。『THE 狛犬!コレクション 参道狛犬大図鑑 』の著者、狛犬の分類を決定づけた落語家・三遊亭圓丈師匠曰く狛犬のことは「狛犬に聞け!」である。高い台座や岩の上、種々雑多な狛犬が立ち居振る舞いを眺めていると、やはり猫族の遺伝子を継ぐもの、漫画『天才バカボン』に登場するキメラ、ウナギ犬ならぬ、ネコ犬なる生命を宿しているようだ。然し、彼ら石像のまなざしは何処へ向けらていたか、何をみてきたのか。今日まで連綿と続く日常の吉凶の記しを憶う。

 

神殿からみて左右に、口を開けた「阿形」と口を閉じた「吽形」が、その阿と吽から呼応して、人々の心に映された空虚さをひとつの実体として実感する。今から48年前にシルクロードを旅して、『狛犬のきた道 幻のアジアハイウエイ』を著した歌人、故・鈴木英夫氏の旅愁「過ぎ去りゆくもの」である我々は、明日は昨日となる、一期一会な今日を鑑みる。選択することはしなかったことの記憶でもある。因果に終始するだけではない瞬間に、独自な情報を有する存在の意志や想像がある。吽で終わって阿でまた始る、円環の現象に浮遊する過程を、可逆的に観る志向性が、いま、必要なのである。
 

獅子・狛犬の、はじまりの目に終りが、おわりの目に始りが映っている。

animation by ERIKUSA Tei

text by MATSUMOTO Chikara

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