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往復写簡 #59


襟草丁(写真)←松本力(文)



襟草丁さん


夢をみた。夢の中で時を超える。何もおこらなかったのは、何かがおこったあとだからだろうか。その日、その時、その場に戻ることはできないけれど、時間に後先があるのではなく、意味の中に生きてこそ、その後先を再び知ることはできる。その瞬間に強烈な既視感を得るが、そのような夢の特異点にたどりつくために、いままでとこれからの出来事の意味をできるだけ正確に知らなければならない。生れるまえから死んだあとまでをくり返しながら、その瞬間を知りたい。


ある人が教えてくれた、いみじくもぼくが生まれた年に刊行された小説の、レモン色のカーテンが掛かっている部屋の暗喩は、子どもの頃に垣間みた叔母の薄暗い部屋を、はじめて女性の部屋に入った時のような「映像」として再生される。だれかを目の前にして、その時に居合わせないのは、その場に踏み込めないまま、間に合わなかったともいえるけれど、亦の心で振り返ってみても、そこにはただ風が吹いているだけと知っていたなら。


瞼を閉じていても、可視光線によらず生成される心像にこそ、五感はひとつに表象される。覚醒時にはない真実味がある、もう一つの現実。そんな夢見の瞬間に、蝶が自分なのかもしれない物我一体の境地を彷徨い、その共感覚で記述する徒然なる日々は、泡沫のごとく無常に、ただいとはかなく名もない、もののあはれをしる人生だ。いや、栄枯盛衰は世の習いとはいえ、だからこそ、蒼い影の輪郭に映された心を、この目で想像したい。


松本力より


text by Chikara Matsumoto photo by Tei Erikusa 写真と書簡で往復する #往復写簡


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