往復写簡 #43
襟草丁(写真)←松本力(文)
襟草丁さん
ある日の事でございます。
こんな声が聞こえてきそうな、池のふちで、静かに空の蒼さを映す水の面を蔽っている布袋葵の葉の間から、どんな下の容子がみえるのだろう。なにの眼にぼくらが蠢いている姿が映るのだろう。
ある朝から午まで、極楽の蓮池の下から地獄の底までを描写した、芥川先生の「蜘蛛の糸」の美しい文章には罠があると、コントラバス奏者からシャーマンになった友人がブログに書いていた。ミスリードを誘い、世界の理解を過たせると。まさしく、想念の糸、意図が途切れる話。
亡き父が母に話していたという、芥川のような天才でも自殺するのだから、到底、ぼくには作家になるなんて覚束ないと。「唯ぼんやりとした不安」を口にした文豪の自死。
独逸からきた、青い悪魔と呼ばれる植物にも、おもわぬ偽善から図らずも仕掛けられた罠があるのだろうか。
真相はさておき、いや、おけないが、なにかに見下ろされているぼくらがそのなにかを見上げるように、その正体を見破るのには、自分が表現するときに何と共同しているかについて、考える必要があるのかも。
ニーチェ先生曰く、深淵をのぞきこむとき、深淵からもみられている?
著名な人々が文章を寄せたエッセイ集「君へ」の表紙、ぼくもだれかれもをみつめている一人の女性に、いつまでも心惹かれるように、問いかけられている。
松本力より
text by Chikara Matsumoto photo by Tei Erikusa 写真と書簡で往復する #往復写簡 #matsumotochikara #松本力 #erikusatei #襟草丁 #arinomiproject #無 #umu #なぜなにもないのではなくなにかがあるのか #whynotnothing #存在 #眼差し #時空 #過去 #現在 #未来
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