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往復写簡 #29


襟草丁(写真)←松本力(文)



襟草丁さん


道は未知に、石は意志に通ずるかな。

梨は無しに通ずるといって、ありの実と言い換える、言霊思想の言挙げのように、「何もないのではなく何かがある」「みえるものなかにみえないものがある」と、互いのまなざしと意志を明示することで、不思議な心の在り様を眺め、その記しを残しつつあると信じているわけですが。これぞ既視感の実物見本か、時間の後先お構いなしに集まった石が、いつかみて触れた石であったと憶えて仕方がない。


子どもの頃、母方の祖母の故郷である、浅虫温泉の海岸の露店で、木片が石化したものを買った。後年、知人の引っ越しで、その人が石を置くのにつくった小さな木の台がでてきた。石はもうないとのことだった。妙に感じるところがあり、その台をもらって帰って、まさかとおもいつつ、自分の石を置いてみたら、その輪郭も底の凸凹も、はかったかのようにぴったりだった。

静岡の街道には、いちご娘が並んで手を振ってくれるという噂で、友人とドライヴした時に、そんなことは全くなく、かわりに茶摘み体験をして、その次に訪れた「奇石博物館」の話は、また、こんど。


余談ですが、父の名の一部は「通」と書いて「みち」と読ませる。父の父はどんなおもいで名づけたのかな。そして、父はぼくの名を。きいておけばよかった。


松本力より


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