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町を掘る #10


松本力(写真)←襟草丁(文)


松本力さん


意識がある、の証明は難しい。

物心がつくとは言いますが、身体と意識が曖昧な経過の中でいつしか同期するその認知を契機に「私」が「私」として不確実に存在してゆきます。そうして数十年後、また曖昧模糊に意識と身体を手放すのでしょう。ありとあらゆる存在がぼんやりと漂う次元で、意識は、それらに明瞭な輪郭や意味を与えることが可能です。どんな輪郭かどんな意味か、楽観悲観いずれに転んでも「私」という箱は曖昧な一過性であることに変わりありません。始めも終わりも上も下もない時空に巻き取られる一瞬間の微かな粒子である「私」が「私」に対してかたちを与える、同時に与えないという選択肢もありますが、悲しい哉、又は有り難い哉、意味と無意味に右往左往し感情の起伏をどう巡っても最終結論は同じです。

夜空にピカリと光る物体の解釈はし放題ですが、ぼやけた描線である一過性の中に収束します。


襟草丁より



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text by Tei Erikusa

photo by Chikara Matsumoto


写真と書簡で往復する #往復写簡

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