往復写簡 #7
襟草丁(写真)←松本力(文)
襟草丁さん
片付けていて、古い色紙が出てきた。
まずもろともにかがやく宇宙の微塵となりて 無方の空にちらばらう 宮沢賢治
文学少女だった母は、宮沢賢治研究会の「四次元」に出入りしていた。だれの書なのか。そうか、いままでとこれからのみえない記憶の複合体は、食って寝て吸って吐いて、やがて、この身体は失はれ、路上の微塵となった。
シイの木の花が咲いた。
小さな王冠たる無数のクローナが降って、淡い黄色に染まった路に風が吹いて、
それらを掃く手の追い風、向かい風に、渦を巻くこともあった。
鳩も空々とうたって、気分はもう朝の散歩、野営や旅先にいるように幸せだった。
この路の真っ直ぐつきあたり、肉屋のおじさんが配達の準備をするのがみえた。
店は疾うにやめたが「どこかいくの」「どこかいってきたの」と、いつも声をかけてくれて、近況を話し合った。歩いていって、挨拶を交せばよかったのに、手を振ってみたけれど、気づいてもらえなかった。
昔、母と買い物にいって、重々の音とともに仰ぎ見ていると、コロッケやトンカツ、アメリカンドッグが空からあらわれたのが不思議だった。そんなことがあったのかと記憶をなぞっていると、意識は瞬いて、半分幽霊になった気がした。他生の記憶と写真が儚く結びついた虚構を生きた、ぼくはレプリカントなんじゃないかと不安になった。掃く手が痺れてきたら、釘を打ち込んで、生を実感したくなった。
いつか、多次元を旅して、この世界でなにをおもってなにをしたか、わかったか。
感情は粗金色の蒼さに沈む。
でも、おじさんが元気そうでうれしかった。
松本力より
text by Chikara Matsumoto photo by Tei Erikusa 写真と書簡で往復する #往復写簡 #matsumotochikara #松本力 #erikusatei #襟草丁 #arinomiproject #無 #umu #なぜなにもないのではなくなにかがあるのか #whynotnothing #存在 #眼差し #時空 #過去 #現在 #未来
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