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往復写簡 #5


襟草丁(写真)←松本力(文)



襟草丁さん


反符丁・弾符丁、低いところから上って

反符丁・弾符丁、高いところへと下った

いつかどこか、目のあたりにしない時に

その後先を正しくみることができなくて


英国の童謡に、鏡の国にもいる、ずんぐりした(ぼくのこと)反符丁・弾符丁の出自を憶った。

彼曰く「おれがことばを使う場合にはな」「おれが表わしたいと思うものをぴたっと意味するんだ-以上でも以下でもないんだ」

在梨子曰く「問題は」「ことばに、そんなにいろいろなことを意味させられるかどうか、ってことですわ」

彼曰く「問題は」「どっちが主人か、ということだ-それだけさ」

このあと『不透視性』、「底まで侵入する、もしくは見きわめることができない性質」について言及された。「さっきの話はもうたくさんだということだ、それで、次には何をやるつもりか言ったらいいだろうってことだ」という意味で。

彼の言語論はどこから来たのか。

双子によれば、自分がだれかの夢の中に登場させられているかどうかを知るには、

そのだれかを起こしてみるとよかった。


「さようなら、こんど会うまで!」

「また会ったって、二度とおまえだとわかりっこないさ-おまえは全然ほかの人間と同じだからな」

「ふつう、人は顔で見分けるんだけど」

「おまえの顔は、だれのとも同じだ-目は二つだし-(親指で、宙にその場所を示しながら)まんなかに鼻、下に口。いつでもおんなじだ。たとえば、鼻のどっちか同じ側に目が二つあるか-口がてっぺんについてるかすれば-少しは目印になろうってもんだ」まず、きみは、どこからどこまでが顔か。


熱量の移動が不可逆的だから、時間の矢は弓から的へと向かって飛んだけど、

暮れなずむ蒼い空の陽の名残が照らした雲の金色みたいに、

目玉焼きのきみは、まだ卵かもしれないじゃないか。

いや、いつからいつまでが玉子か。


ぼくの目ん玉が曖昧だから、その境目が観察できなかった。

これからなにかおきたのか、この写真をみたからか、

ゆで卵を丸呑みする男を映画でみたからか、

たまごが好きな王様や二匹の野鼠が大きな焼き菓子をつくるのを絵本でみたからか、目玉焼きのほうが好きだった。

だから、卵をわるとき「ごめんね」と心の中で小さくつぶやいた。


(引用:『鏡の国のアリス』ルイス・キャロル/多田幸蔵 訳/旺文社文庫)


松本力より


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