虚空の空虚, A sky in the sky.
阿吽の考察で、狛犬の研究の本を読み進めていく中で、特に感銘を受けた本があった。
歌人で医学博士でもあった故・鈴木英夫氏の「狛犬の来た道 幻のアジアハイウェイ」で、1969年、今から48年も前に、イタリア、ギリシャ、トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタン、インドへと荒野をわたった旅の記憶である。この長旅の目的は、日本の狛犬へとつながる、霊獣としての獅子のイメージが伝播してきた東西を結ぶ人々が生きて暮らしてきた「人間、この過ぎゆく者」の道を実感することにあった。
「インド哲学のことはよく知らないが、虚空とは地、水、火、風、とならんで、五元素の一つとされた、一種の実体と考えられているという。仏教の方では「抵抗の感じられない空虚な場所」だという。過ぎ去った人々の嘆きも怒りも悲しみも、実体はあるようでいて、とらえがたい。それは抵抗のない空虚な場所を充たしているだけだ。その空虚を見に、私はここまでやってきたのではないか。」
鈴木氏の旅愁「人間、この流れ去るもの」への感慨が、いまここに生きているという自覚なのだろう。日常ではない、過ぎゆく日々の中に在るということだけが、実体を感じさせる。
ルイス・キャロル氏の「鏡の国のアリス」の鏡像や、ミヒャエル・エンデ氏の「はてしない物語」の虚無や、マルチヴァースな時空空間の世界の虚像は、過ぎ去りし影を映している。
いままでがあるように、これからもあることを、虚空を、空虚を、ながめてみよう。